「かぼちゃの馬車」問題を考える中で改めて「専門家」ってどのような存在であるべきか考えました。

「かぼちゃの馬車」以外でもアパートローン問題(いわゆるサブリース問題)でも同じことが言えるのですが、最終的に損をする(保護すべき)のは顧客であり、販売業者でも金融機関でもありません。なぜか?それは情報量が違うからです。不動産鑑定士試験で勉強した「情報の非対称性」を思い出しました。

ここで「情報の非対称性」とは、経済主体の間(販売業者・顧客・金融機関)に情報格差が生じている状況のことです。株式市場では情報公開(ディスクロージャー)が徹底されており、企業は正しい会計情報(事業の結果情報)を開示することが求められています。その会計情報が「正しい」という前提で、私たちは正しい投資判断を期待されます。「正しい会計情報」に基づいて行った投資判断については投資家の自己責任です。一方、正しくない会計情報を開示したらどうなるでしょうか?それは東芝の不正会計問題でもわかる通り、刑事罰もそうですが、市場での投資家からの信頼をなくします。誰も自社に投資してくれないという状況になりますので、企業存続の危機を迎えてしまいます。

今回はこの「情報の非対称性」が大きな問題を引き起こしました。悪いのは顧客ではありません。販売業者側に「正しい情報」を開示する責任があります。販売業者の方がより多くの情報を持っているのですから。では「正しい情報」って何になるのでしょうか?顧客には「事業見込」、もっと言うなら「賃料が下がらない前提の事業見込」を掲示していたとのこと。あくまで「見込」なので外れることもあります。いわゆるデタラメであっても「見込」なので、販売業者の楽観的な主観が入っていても「見込」ですから。

こう考えてみると本当に欲しいのは「業者の主観が入っているかもしれない事業見込の数値」ではなく、シェアハウスやアパートを一つの事業と捉え「先行事例の実績数値」、それもできたら複数案件の実績数値を見るべきですね。そこから将来性(回収可能性の可否)を考え、最終的な投資判断を行うべきでしょう。もし見せてくれなかったら…「見せられない事情」があると判断して、その業者とのお付き合いはやめればいいのです。まぁ「個人情報だから…」でゴマかしてくると思いますが、それを含めて業者の誠実性を判断する材料になりますね。

顧客は不動産に詳しくない場合もあるので「販売業者は専門家だから」や、「銀行が問題ないというなら」ということを判断材料にしてしまうのは理解できます。最終的に「専門家」に求められるのは「客観性・中立性」であると考えます。加えて「気軽さ」も必要です。「気軽に相談できる」ことで社会インフラとしての不動産鑑定士の役割発揮ができると考えます。