ここ最近TOKIOの山口氏のニュースがワイドショーを賑わしています。そしてコメンテーターが「辞表を出すということに違和感がある」とか「TOKIOに戻りたいというのは甘いのではないか?」など話しています。客観的に見ればその通りですが、そんなことコメンテーターに聞かなくてもある程度わかります。今回は「山口氏の立場になって」考えてみます。

山口氏は「憔悴しきっている」と記者会見でも他のメンバーが話されていましたが、本当にその通りだと思います。それなので一連のことは「憔悴しきった立場」で考えなくてはなりません。つまり冷静な判断力はないということです。被害者のこと以外にも仕事で大きな穴を空けてしまったことや、今まで積み上げてきたものが一瞬でなくなってしまったこと、すべてがゼロではなくマイナスになってしまったこと、将来の展望が全く描けない…この状況で考えられることはほぼありません。考えることは「この世に自分は必要だろうか?」です。そして「もう必要とされる存在ではないのかな…」と思っているはずです。でも心のどこかで「自分が必要」と言って欲しいという気持ちもあります。彼は離婚されていて家族がいないので、それをメンバーに求めたのではないでしょうか?それが辞表提出という行動になって表れたのだと思います。そんなのおかしい!とか違和感がある…というのはあくまで正常な判断力を持っている人の思考です。彼は正常な判断を下せる状況ではありません。憔悴しきっているのですから。

山口氏にとっては人生最大のピンチですが、人生最大のチャンスでもあります。今までの彼の存在価値は「TOKIOの…」だったのですが、それを脱ぎ捨て新しい価値観、存在価値をつけるチャンスです。つまり新しいチャレンジができる状況です。被害者への謝罪の気持ちや、起こしてしまったことへの悔しい気持ちなどを忘れずにいれば、どこかでくじけそうになっても力が出てくるはずです。今からでも遅くないので社会にとって必要とされる人間になることが、被害者や迷惑をかけた人、彼自身のためにも最善のことだと思います。

以上、大きなお世話なことを書きました。けしからん!と思われる方もいらっしゃると思いますが、あくまでも「相手の立場になって考える」ことの一環ということで、ご容赦ください。一つの事象も見る方向が違えば見え方も違ってきます。