いつもは見ていないのですが、昨夜はサッカーのワールドカップ中継を見てしまいました。日本対ポーランドは後半途中から退屈な展開でした。1点差負けなら構わないという戦術は、決勝トーナメント進出という面では正しいのでしょう。この評価は決勝トーナメント初戦の結果次第でしょう。まぁ、負けられる試合を作れる状況まで持っていったのは素直にすごいことだと思います。ではこの違和感はどこから来るのでしょうか?
思うに、始まる前までは「勝利を狙う!」と言っていたのに途中から「負けてもいい」という姿勢に変わったことだと思います。最初から「何が何でも決勝トーナメント進出!」であればよかったのかもしれません。ただ、選手にはその意図は伝わっていたのでしょう。実はそこが一番大事なのです。

相続には「監督」という立場の人はいるようでいません。相続全体をリードする立場は本来は被相続人、つまり本人(親)なのですが、残念ながらその自覚がある人は少数であり、だからこそ揉めてしまうのです。親が監督と言う立場でどのような戦術を取るか子供たちに浸透させておけば、内紛は起きないでしょう。しかし「自分が死んだ後のことは子供(長子)に任せるよ。仲良くやってね。」と思っている人が多いのも事実です。長谷部キャプテンに丸投げするようなものです。ただ、長子が自分がキャプテンであると自覚していればいいのですが、親との意思疎通が図れていないので結局何もできず相続を迎えてしまい、これまた揉めるのです。

揉め始めるとそれぞれが自分中心で考え始めてしまいます。不動産の価値も自分にとって一番都合の良い数値を持ち出してきます。よく他士業の先生が運営するホームページでは「無料査定で価値を把握し、合意を図るのが云々・・・」と記載されていますが、そこですんなり合意が図れるくらいならそもそも揉めないでしょう。だからこそ不動産の適正な価値判断を行うことができる不動産鑑定士が重要な役割を担います。
「監督」としての役割はリスク回避です。ここでいうリスクは「兄弟間で揉めるリスク」です。回避できるリスクは最初から回避するようにし、さらには戦術まで描くことができれば、そうそう揉めることはないでしょう。